悪くなかったな

私は、一人がダメになった人やと思う

一人で過ごすん大好きで
旅行も服買うんも休日ダラダラ過ごすんも
一人が一番やと確信してた
し、何ならそうじゃない人のことを
情けないって思ってる部分もあったと思う
一人じゃ何もできんねやろなって

私の中で、群れたがる人って
誰かの中でじゃないと
自分を大切にできへん人やってん
この人と友達であることとか
このグループにおるっていうこととか
逆に、誰かと比べないと
自分の価値が分からへんこととか

正直、今もそう思ってる部分は少しある
ただキャッキャやるのが楽しい相手
楽しい日、気分っていうのは
私にも全然めちゃくちゃあるねんけど
私の美学として
そこに執着はしていたくないわけよ

一人で立たれへん人らが
みんなで集まって一人になってるみたい
ってずっと思ってた
大学の食堂とかその吹き溜まりみたいで
マジでずっと気持ち悪かった

でも、家に帰ったら親がおるっていう
当たり前やった環境が剥がされて
6年間毎日会ってた友人と
年に数回しか会われへんようになって
ようやく大学での居場所になった恋人も
おらんくなって(おらんくなって?)
ことごとく一人を痛感して生きてると
泥ですら浸かりたくなる日もある

いや、それでも
誰でもいいから一緒にいたい
って思う気持ちが
それほど頻繁に沸くわけじゃないし
今でも気持ち悪いとは思ってる

でも私にとって大切な、親とか陸とか
数少ない信頼してる友人たちとかは
いなくなったからこそ
その存在感を発揮するというか
いや、いなくなってないねんけどな
当たり前じゃなくなって初めて
大切になるというか

どんなことでもそうやと思うねんけど
当たり前に浸かってると
在るものが見えへんくなって
当たり前が崩れたら
無かったものが見えるようになるねん

上手いこと言おうとして
無理矢理作って!と思われそうやけど
これはほんまに感じてることで

一緒におって、それが当たり前のときは
考えもせんかったようなことが
選択肢として舞い込んできてしまう
なんというか
例えば恋愛感情って特に
環境との足し引きやと思うねやん

極端な話、
一般人の男性が新垣結衣を
本気で恋愛対象にしてないのって
新垣結衣への好きが満点の100やとしても
距離、可能性含めての環境が-1億やん

遠距離恋愛で別れるカップルが多いんって
好き+環境の和が変わって
その人が一番じゃなくなるからやと思う
今までは100+100で満点やった恋人が
環境が例えば53になったとして
153、そしたら近く(環境点100)の
好き度53点の男と同点になる
分かりやすく言えばこれやねんけど
実際は、
例えば恋人が170点くらいになると
165、160点くらいの
これまで眼中になかった男の人たちが
見えてきてしまうねんな

私には見えてきた人はおらんけど
一人になった方が楽かもとは何回も思った
これも見えてなかった選択肢の一つ

無くなるということは
無かったということとは雲泥の差やから
一人を好んでた頃の私は
誰かとおる状態で100になったことも
その環境を奪われたこともないから
一人で100になれた
今の私は、母親の有難みを知ってて
陸の存在の大きさも知ってて
一人では100になれへんくなった

「一回、地元出てしまえばもう楽よね」
ってたまに言われるけど
どうやろう
うんって言うし、思わなくはないけど
離れるということを知ってるって
失恋経験した後の方が
失恋に対して臆病になる的なソレやからな

知らない、気づかないって
幸せやな〜と感じることって多々ある
「幸せなときは幸せを問題にしないとき」
ってよく言うけど、ほんまにそうよね
当たり前は毒にも薬にもなるわ

維持しても崩しても、幸せでいたいね


/🌷

3コメント

  • 1000 / 1000

  • ザキリン

    2019.04.12 07:38

    @面接ばっかやなあほんま ガンバロウ
  • 2019.04.12 03:47

    @ザキリン分からん、、面接ラッシュやわ、、
  • ザキリン

    2019.04.12 00:28

    is 就活 順調?